純日本庭園旅館 松風樓
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お料理|富山の旅館・宴会・法事・法要等|富山県南砺市【松風樓公式ページ】

純日本庭園旅館料亭『松風樓』 レトロな癒しの宿
料亭『松風樓』

〒939-1632
富山県南砺市福光7471-8
0763-52-0051

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松風樓 女将のひとりごと
 
ふくみつ観音町誕生ものがたり
 
松風樓の歴史
おらっちゃの青春の街「開町110年」

松風樓の古絵▲松風樓の古絵

 観音町は長い時間をかけて自然発生的に出来あがった集落ではなく、政策的に、わずか10ヶ月で出来あがりました。今で言えばショッピングセンターと解釈してもよさそうな存在で「男性にとっては100名を超える女性との交流の一大楽天地(不夜城)」でした。
 村当局主導で大字福光村川原の一区画を設定して明治32年(1899年)9月「貸座敷営業免許地」の指定を富山県知事から受けました。さっそく地形普請にとりかかり、業者は妓楼を新築して明石家、山本家、弥六、一ツ松、神田家、桐藤家、松風楼、川源、丹保家、旭楼(10件)が、この免許地における貸座敷営業の草分けとして明治33年(1900年)6月営業を始め、末広町と呼びました。(福光史下巻)のち大垣町(稲荷神社側)と合併して観音町となりました。
 明治始め文明開化が進むに従って各町内に料理店も多くでき、町家と料理店が混在したため一ヵ所に集めてはと意見があったことと、時勢が日清戦争(1894〜1895)が戦勝に終わったが、大陸では露との衝突も予見され、明治31年金沢第9師団を設置、全国屈指の講習地として明治32年、立野ヶ原60万坪買収の始まり兵隊さんのお客も予想された動きの中での設置でなかったかと推定されます。
 いずれにしろ、明治の時代にこの田舎にこれだけの大規模な商業施設をつくり、その後富山での三大花街に育てあげ、繁栄させた先人の企業家精神に今こそ見習うべきではないでしょうか。
 今年でちょうど110年、往時をしのび、再び美女と語り合い、郭歌をうたいながら、一献のさかずきをかたむけ、国の行く末を憂うるのも一興ではないでしょうか。

松風樓の名前が登場する「ふくみつ廓廻イ唄」▲松風樓の名前が登場する「ふくみつ廓廻イ唄」

棟方志功と松風樓

現在当館は四代目になります。先代の三代目が幼少の折、棟方志功さんのご長男「巴里爾(ぱりじ)」さんととても仲が良く、棟方さんの家へよく遊びに行ったものでした。志功さんが目の前で版画を刷るのを見ていると「どうだ斉藤君凄いだろ〜!」と、遊びに行くたびに版画を貰って帰ったものだったそうです。でもその版画は勉強机にしまっておいたら、いつの間にか消えてしまい・・・本当にとても残念な思いです。



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